── Program Notes ──
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フレデリック・ショパン(1810?〜1849)
F. Chopin
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ポロネーズ Op.53 「英雄」 変イ長調
Polonaise No.6 "Heroique" Op.53
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このあまりにも有名なポロネーズはショパンの充実期1842年(32才頃)の作品。
雄大な音詩とも言われ、「恐るべき出来事が起こらずにはすまないだろう、しかしその最後はすべてが素晴らしいポーランド、偉大な・・・一言でいってしまえば、ポーランド!・・・・ここでは誰も彼も秋が来るまでには自分たちの事件は片が付くだろうと信じている。」と後に手紙に書いたショパンの精神をみごとに具現している。
1842年といえば、ショパンの最初の音楽教師ジヴヌィや少年時代からの親友マトゥシンスキが亡くなり、かなりの精神的ショックを受けている時期なのだが、ジョルジュ・サンドの行き届いた心遣いのもと、ノアーンにおいてこれ以外にバラード第4番、スケルツォ第4番、即興曲第3番と次々大曲を仕上げており、まるで命を削っていくような彼の集中力は凄まじいものがある。[高瀬佳子]
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〜 私のコメント 〜
男性的な力強さ、壮麗な美さばかりでなく繊細で甘美な憂いも感じさせてくれるこのポロネーズ。そんなに大きい手をもたない私ですが会場の響きに助けられました。ポピュラーな曲だけに演奏してみて初めて、その内容の完結された素晴らしさやショパンの独自性と突き抜けた才能に改めて気付かされました。これは高槻現代劇場中ホールでの「こすもすチャリティコンサート(1994年5月)」(ユニセフ
への寄付)においての会場録音。
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マズルカ 作品30-4
Mazurka Op.30-4
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これは1836〜37年にかけて書かれた4曲のマズルカの中の一つである。ショパンがマリア・ヴォジンスカに恋をし婚約までしたのに破棄されてしまうという、大きな心の痛手を負った時期であり、「わが悲しみ」と上に書かれ、マリアからの手紙や思い出の品をリボンで束ねた封筒が残っていることはよく知られている。そしてこの頃からショパンの「自分の人格の浪費であり、孤独の濫用にすぎないような生活」(パステルナークの言葉)が顕著になってきたと言われている。しかしその後のショパンを精神的にも経済的にも絶大に支えた女性ジョルジュ・サンドと出会ったのもこの頃である。
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〜 私のコメント 〜
録音は、ショパンの150回目の命日である1999年10月17日、ちえの輪サロンという小さなスペースでのショパンチクルスのコンサートからのものです。ここのピアノは小ぶりのスタインウェイですが、とても品の良い音が出てくれるので、気分良く演奏することができました。
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ベートーヴェン(1770〜1827)
L. v. Beethoven
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ソナタ ハ短調 作品13 「悲愴」
Sonate c moll Op.13 PATHETIQUE
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I. Grave - Allegro di molto e con brio
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II. Adagio cantabile
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III. Rondo, Allegro
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ベートーベン自身により、「悲愴的大ソナタ」と表題のつけられた、大変ポピュラーな曲である。
28歳の頃に書かれた作品で、作曲家として大家への第一歩を踏み出し始めた時期であるが、同時に耳の病も自覚し始め、彼自身の心の中の不安や葛藤、克服等の大きな変化が、その内容の深さによく表れている。
どの楽章も若々しい生命力と豊かな表現に満ちており、特に第2楽章は様々に編曲され、広く愛されている。
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〜 私のコメント 〜
これは私がミュンヘン留学から帰国してすぐのデビューリサイタルで演奏した思い出深い曲です。この録音は、そのリサイタル前の小さなコンサート(京都エルダーセンターにて1991年8月)で弾いた時のものですが、久し振りに聴いてみたら、その時の自分のこだわり等がはっきりわかり、我ながら「若いなぁ」という感じでした。
第1楽章の最初があまり強くなかったり、第2楽章のメロディーの減衰のさせ方、第3楽章のゆっくりめのテンポでのノンレガート奏法等、かなり変わっているかもしれませんが、それがあの時の自分のスタイルだったのでしょう。まだまだ青いけれど、いろいろ自分で感じ、悩み、表現してみたかった当時の私をそのまま受け入れて頂ければ嬉しいです。
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フレデリック・ショパン
F. Chopin
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マズルカ 作品50-3
Mazurka Op.50-3
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1841〜42年のショパンの充実期における作品。この頃のショパンは夏にはパリの南方の村ノアーンにあるジョルジュ・サンドの別宅で、彼女とともに生活していた。そこでサンドの母性愛的な保護のもと、多くの傑作が生まれたのである。
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〜 私のコメント 〜
これは音楽人倶楽部たかつき主催のリサイタル(1992年11月)の、アンコールとして演奏したものです。この曲はリパッティの名演が残されているので、そちらのイメージで聴かれてしまうとちょっと困りますが、ショパンの多くの美しいマズルカの中でも、マズルカという枠をはるかに超えた内容の深い名曲だと思います。ショパンの作曲はポロネーズで始まり、マズルカで終わったと伝えられていますが、それほどまでにこだわり続けた祖国ポーランドの民族舞踊のリズムが、こういう芸術作品として時も国も越えて私達に伝わり続ける事実は、胸を打たれます。
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幻想即興曲 作品66
Fantaisie-impromptu Op.66
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この有名な即興曲は第4番とされているが、4つの即興曲の中では一番早い時期1834年ショパン24歳の頃の作品である。生前には出版されておらずこの曲名も死後に公刊された時(1855年)にはじめてつけられたもののようである。ショパンがパリに到着してから3年目にはいり、生活も落ち着きはじめ、音楽家としての名声や交友関係も広がりつつあった時期である。
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〜 私のコメント 〜
ショパンの一面でもあるサロン的な要素が多くをしめる曲ですが、その美しく甘い旋律は幼いころの私を魅了していました。録音は、ショパンの150回目の命日である1999年10月17日、ちえの輪サロンという小さなスペースでのショパンチクルスのコンサートからのものです。
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十河陽一(1959 〜 )
Yoichi Togawa
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Our Songs T 「ふるさとに寄す」 (1999・初演)
Homage to "Furusato"
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私はこの曲を、半ば即興的に一気に書き上げました。大きなテーマを追った作曲を苦労して終えた直後の開放感がそうさせたのかもしれません。
今回の作品は、唱歌「ふるさと」によるかなり自由な変奏曲となっています。これは「ふるさと」をテーマにした曲をぜひ書いて欲しいという、高瀬さんの強い要望に答えたものです。またこれを機会に、私達の身近な歌を題材にした作品を書いていきたい、あるいは書いていかなければならないという思いから、"Our Songs T"という副 題をつけました。[十河陽一]
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〜 私のコメント 〜
私が無理言って頼んだとはいえ、リサイタル本番10日前に作曲されたこの曲を暗譜で演奏することは結構勇気が要りました。幼い頃よく母に子守唄として歌ってもらった「ふるさと」、私はこの曲をいつかピアノでなんらかの形で演奏してみたいと常々思っており、ピアノ用に編曲された楽譜を探していました。そのような楽譜はあるにはあったのですがあまり編曲が気に入らず、これは自分で変奏曲かなにかを作るしかない、とひそかに決意していたのです。ところがいざ作ろうとすると膨大なエネルギーと時間が必要なことに気が付き、とりあえず十河氏に委嘱することにしました。普通、変奏曲というものはテーマを先に示しそれから変奏が連なるというもの、この曲の場合最初からテーマらしきものがちらっちらっと見え隠れし、最後にテーマが現れます。
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フランク(1822 〜 1890)
C. Franck
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前奏曲, コラールとフーガ
Prelude, Choral et Fugue
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ピアノの名手にするという父の意志もあり、子供の頃から才能を発揮したフランクであったが、結果的には、教会のオルガン奏者として、生涯を宗教的雰囲気の中に送った。リストは彼を、バッハ以外並ぶ者のないオルガン奏者とたたえたが、作曲家としては、大器晩成型であり、50歳になってようやく今日知られる名作を書き始め、晩年になるまであまり評価されなかった。
しかし、その作風は、華麗さは無かったものの、時代の風潮に左右されることのない古典的な誠実さと、大胆な和声進行による独創的なもので、彼の善良な人間性を反映するように、豊かな響きと、内面的で甘美な静けさや、深い精神性をもつ。
彼はまた多くの優れた作曲家を育て、ドビュッシーやラヴェルとは別の、デュパルク、ショーソン等に継承されるフランス音楽の流れを築いた。
この曲は、62歳の時の作品で40年ぶりにひさびさに書かれたピアノ曲である。3つの部分に分かれているが、つなげて演奏され、それぞれの主題は相互に関連しており、精神性の高い美しい曲となっている。
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〜 私のコメント 〜
この作品も、自分のレパートリーとして一生深めていきたいと思う名曲です。フランクの内面の深さは、歳を重ねるごとに表現するものが違ってくると思いますが、この曲の宗教的な気高さのようなものを、少しでも感じて頂ければ嬉しいです。
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