◆曲目解説◆

小川光



  • ロベルト・シューマン

    アラベスク Op.18
     『アラベスク』はシューマンのウィーン滞在の時代(1838年9月−39年3月)の作品で、「アラビア風の」という意味を持つ。ヨーロッパにおけるアラビア文化の遺産であるいわゆる唐草(からくさ)紋様を、シューマンがウィーンのどこかで目にしたであろうことは十分に推測できる。この模様が示す幾何学的な様式は、そのままこの曲の主題(主要旋律)のロンド風反復と、主題および主題の間に挿入されるエピソードを構成するリズムの規則性に反映されているが、この曲は、シューマンがまず視覚的にアラベスク紋様に触発され、そこで生じてきた想念に音楽上の楽想としての形が与えられたものであろう。

    幻想曲 Op.17
     幻想曲という曲種が本来持っているはずの幻想性は、人間の内面の感情あるいは抒情といった形の無い物が中心概念であるロマン主義ともっとも符合するものである。しかし1838年にシューマンはクララへの手紙で、当時主流の音楽について「そのような曲は、音楽の最も程度の低い種類の感情と安っぽい抒情のむき出しを事としている」と、その感情表現の過多的傾向を批判している。シューマンは当時のロマン派の過度に抒情的な音楽と相容れない音楽観を持っていた訳だが、それはそのままこの『幻想曲』にも反映されている。事実、シューマンはこの『幻想曲』を当初ソナタとして1836年に作曲し、38年まで推敲を重ねて現在われわれが知る完成版が出来上がったのであり、その完成時期に上記の当時主流の音楽批判をしていることを考えれば、この曲が持つ非ロマン派的な音楽上の構成もうなずける。この曲は実質上3楽章構成のソナタであり、第一部と第三部はいずれも自由なソナタ形式とはいえ、従来の幻想曲とは趣がかなり異なる書法で書かれているのである。
     シューマンはこの曲の冒頭にフリードリヒ・シュレーゲルの詩「華やかな/この世の夢に鳴りわたる/全ての響きの中から/ひっそりと耳をすます者のために/かすかな調べは流れ来る」(小川訳)を書きつける。この詩を介してシューマンが意味することは、彼の内面の感情に関わるものでわれわれには計り知ることができない。しかしそれをこの曲の独自の楽想を通して聴く者に伝えようとしているのならば、そのかぎりでこれはロマン派の幻想曲の典型であるともいえる。

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  • フランツ・リスト

    3つの演奏会用練習曲より 第3曲「ため息」
     リストの曲といえば、アレグロで遠慮なく三十二分音符のパッセージがつづき、オクターブの和音が林立し、5度や6度が譜面上を縦横に走る図を想起させる。これはシューマンが言う「(リストは)急に華々しく現れたパガニーニに魅了されて自分の楽器の道をさらに邁進し、極限をきわめたいと望んだ」ことによるものだろう。リストは練習曲を相当数書いているが、この曲種ではこの傾向はさらに顕著であるといえる。
      3つの演奏会用練習曲は『超絶技巧練習曲』などに比べて知名度も高くなく、特に1番と2番は演奏される機会も少ないが、この『ため息』と呼ばれる第3番だけは演奏会でも頻繁に演奏される。1番と2番がいわば上記の典型的なリスト的難曲であるのに対して、この3番は全曲にわたるアルペジョにのって夢見るような旋律が奏でられ、曲全体を支配するこの中心旋律をごく自然に美しく響かせる、奏でる、真にピアニスティックな技量が要求される。

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  • レオシュ・ヤナーチェク

    「草陰の小径にて」第1集より
    私たちの夕べ, 風に散った木の葉,彼らは燕のようにしゃべりまくった
    「草陰の小径にて」第2集より
    第3曲Vivo, 第5曲Allegro

     ヤナーチェックは1854年にチェコのモラヴィア地方に生まれ、幼少より音楽的環境にあったが、組織立った音楽の勉強として20歳のときにプラハでオルガンを勉強し、25歳のときにライプツィヒ音楽院に入学した。このライプツィッヒでの勉強中に作曲に興味を持ち始めたらしく、翌年の1880年にはウィーン音楽院にも留学し、作曲に専念するようになる。しかしヤナーチェックは意思半ばで帰国してしまうが、それは歌曲の作曲コンクールに参加するもののよい結果は得られなかったからだといわれている。
     ヤナーチェックは、かねてから自分が生まれたモラヴィア地方の民謡に大きな興味を持っていたが、帰国後その興味はさらに増大し、やがてその収集と研究を始める。そしてそこから、彼の作曲法上の理論として知られる「発話旋律」の理論を発展させていく。これは、人間の言葉の抑揚を系統立てて記譜し、それを作曲に応用することによって独自の音楽言語を創り出すもので、モラヴィア民謡とのつながりも無視できない。
     ライプツィヒ時代に多くの演奏会を訪れたヤナーチェックは、オペラの演奏会にだけは行かなかったといわれている。当時より、母語の語感と音楽の関係になんらかの強く思うところがあって、オペラ作品を聴くことを避けていたのかも知れない。ヤナーチェックは生涯にわたって、この個性的な音楽言語を発展させていくが、彼の音楽の独自の響きはここからくるものなのである。(第2集の第3曲は、版によっては第4曲になっていることもある。)

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  • フレデリック・ショパン

    ノクターン 第8番Op.27−2,第13番Op.48−1
     ノクターンという音楽上のジャンルがジョン・フィールドによって創始されたのはよく知られている。ショパンはこのノクターンを、ピアノでしか表現できない純粋にピアニスティックな技量がピアノという楽器とピアニスト双方に要求されるものに発展させ、さらに作曲において自己の内面の感情を曲に潜ませることで、芸術性の高いロマン派音楽の真髄の地位に押し上げた。
     第8番はフィールドの第5番のノクターンを想わせるアルペジョにのって、甘美な情緒をたたえた流麗な旋律を3度や6度、転調を通じて変奏していく。メンデルスゾーンがこの曲を聴いたときの感激を家族に伝えた手紙は有名である。ショパンのノクターンの頂点をなすものとしても過言ではないだろう。
     ショパンのノクターンの約半数は短調で書かれているが、ハ短調のこの第13番は全ノクターン中でも特異な曲である。一種ベートーヴェンを想わせる激情の表現をともない、その劇的なスケールにおいて他のノクターンとは趣が異なり、第8番とは違った意味でショパンのノクターンの最高位に位置するものであると言える。

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  • ロベルト・シューマン

    「子供の情景」 Op.15より第7曲 トロイメライ
     『子供の情景』は、シューマンが作曲開始からほぼ10年間さながらピアノ曲を書きつづけたいわゆる「ピアノ曲の時代」の終わりに近い時期に作曲されている。この曲集におさめられた曲は、子供のための容易な曲のようであって、完成されたピアニストが弾くと曲想など趣がまったく違い、シューマン作品の持つ深い想念にあらためて気づく人も多いことだろう。
     第7曲の『トロイメライ』は字義通りには「小さな夢」の意を持つが、曲集中もっとも有名なこの流麗なメロディーは、その題名の実質的な意味である「幼気(いたいけ)ない子供の見るとりとめなくも幸せな夢」を聴く者に想起させる、ロマン主義の真髄といえる曲ではないだろうか。


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