チェリビダッケ日記



1990年1月27日 〜チェリビダッケのプローベ初体験〜

1990年3月4日 〜自然に歌うオーケストラ〜

1990年3月20日 〜チェリファンとの出会い〜

1990年3月21日 〜グレイトのゲネプロ〜

1990年3月25日 〜本番初体験〜

1990年4月2日 〜シューマンの2番〜

1990年4月5日? 〜オレク・カガン〜

1990年4月7日 〜チェリの聴きすぎ?〜

ちょっと脱線その@ 〜ダッハウの収容所〜
1990年4月14日 〜人間と音楽の関係は?〜



古き良きものを残しながらも現代の人々の活気に溢れる街ミュンヘン、私は1989年7月から1991年7月までの2年間この美しい街に留学で滞在していました。私にとってこの留学は、チェリビダッケという稀有な巨匠に接することができた、私の音楽人生において最も貴重な体験となるだろうと思えるものでした。1996年、84歳で亡くなったチェリビダッケ・・・いろいろな方が彼について文章を書かれていますが、大変共感できるものもあればそうでないものもあります。そこで自分の中の記憶が曖昧になってしまわないうちに、私が感じたチェリビダッケというものを、当時綴っていた日記をもとに私の独断と偏見(?)で少しずつ書き残しておこうと思いたちました。

留学当初はピアノの弾ける住居探し、そして音大のレッスンや、何より生活に慣れることに大変でした。そんな中で、もちろんオペラに行ったり演奏会に通ったりしていました。また、幻のチェリビダッケと言われる指揮者の存在は知っていたのですが、チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルの演奏会はチケットを手に入れるのがとても大変ということを聞いており、それなのにそのうち聴ける時もあるだろうという安易な気持ちでいたがために、私は最初の5ヶ月もの間チェリビダッケの演奏に接していなかったのです。あぁ、今から思えばなんてもったいない過ごし方をしてしまったのでしょう! ミュンヘンという街は、コンサートホールあり国立歌劇場ありで、音楽的環境に大変恵まれており、自分で求めようと思えば消化しきれないほど何でもそろっています。意欲だけはあった当時の私には何もかもが新鮮で、いろいろと目移りして忙しかったという言い訳で自分なりに納得しようとしているのですが・・・・。

初めてのクリスマス休暇のころ、ミュンヘンフィルハーモニーのコントラバス奏者のSさんのお宅を訪ねる機会がありました。そこでチェリビダッケの話を伺ってから、是非ともチェリビダッケ指揮のミュンヘンフィルの演奏を聴いてみたくなりました。まず最初に行ったプローベ(練習、チェリビダッケはいつもオーケストラとの練習風景を一般公開しているのです。)が1990年1月27日でした。

  • 1990年1月27日 〜チェリビダッケのプローベ初体験〜

    現在ガスタイクのホールの中です。ガスタイクというのはミュンヘンフィルの現在の本拠地となっている大ホールを含む建物で、他に図書館などがあります。この図書館では本以外にCDも楽譜も借りられるし、中でゆっくりLPを聴くこともできる私のお気に入りの場所です。<この当時日本ではまだ、図書館にCDが置かれているところは少なかったので、嬉しがって度々借りに来ていました。でも今から思えばまだあまりたいしたものは置いてなかったような・・・。聴きたいと思うものは誰かが借りていたり・・・。フルトヴェングラー作曲の交響曲のCDなんかを妙に覚えています。>

    今日初めてチェリビダッケのプローベを聴きに来ました。休憩が何回か入ります。今はプロコフィエフの交響曲第5番をやっています。スコアを前もって買いに行ったのですが売り切れで、ここの図書館でもチェリビダッケが次にやる曲は全部すぐ貸し出されてなくなってしまうらしい。なんとかブラームスだけ手に入れました。

    かなり多くの人が聴きに来ています。チェリビダッケは歩くのも少し危ないような感じがしますが、その白髪頭のちょっとオランウータンに似ている翁の存在感は、重厚なものがあります。しかし研ぎ澄まされた緊張感というものではなく、父親的存在のようなもので、ミュンヘンフィルのメンバーも、とても楽に生き生きと音楽を奏でているようです。人間的魅力に溢れた人だということが感じとれます。(指揮者はそうでないと、やっていけないのでしょうが。)私は久しぶりに早起きをしたので、<当時から私は寝坊だったのですね、、、>、最初は眠たかったのですが、プロコが大変面白く、だんだん目が覚めてきました。オケはもちろんチェリビダッケの言うことにすぐ顕著に反応するし(ただチェリビダッケの声がダミ声で、客席には言葉がはっきり聞こえにくい!)、非常に自然な音楽の流れの中で、ツボをうまくとらえて調和している感じです。和声の変化が大変美しく心地よく、アンサンブルでこんなに繊細な表現ができるんだ、いや、アンサンブルだからこんなに美しいのか・・・と感嘆。もちろんチェリビダッケは全て暗譜で振っています。

    次はブラームスのドッペルコンチェルトです。ソリストはミュンヘンフィルのメンバー(コンサートマスターと首席チェロ)のようです。チェリビダッケから弦楽器に注文が多数入ります。そういうものなのかしら?なにしろ私はオケの練習なんかじっくり聴くの、初めてですから、なんにもわかっていません。もしかして猫に小判状態だったりして!

    何回か聴きに来れば、きっともう少しましな聴き方ができるようになるでしょう。どうやらこの体験は癖になりそうです。この響きに浸っていると、心も体も柔らかくほぐされていくような感じなのですから!でも自分のピアノも沢山練習しなくてはいけないし、環境が良過ぎる、というのも困りものですね!

    帰りにベルリンで指揮の勉強をしている、というNさんに会いました。彼が、「全然面白くなかったね!ベルリンフィルはこんなんじゃないよ。」と言ったので、とてもいい演奏で興味深かった、と思っていた私はなんだか嫌な気持ちがしました。が、なにしろまだ初心者なので、何も言えませんでした・・・。



  • 1990年3月4日 〜自然に歌うオーケストラ〜

    今日もチェリビダッケのプローベを聴きに来ています。曲はブルックナーのミサf mollです。もちろんソリスト(Margaret Price, Doris Soffel, Hans Sotin, P.Straka)もコーラス(ミュンヘンフィルハーモニー合唱団)も揃っています。指示が細かくてなかなか曲が先に進みませんが、今の私には合唱やオケを聴くことが一つの大きな楽しみとなっています。孤独なピアノと違い、多くの人が集まって一つの音楽を作り上げていく・・・そうしてできあがってくるものから、大きな力と、自分の欲求を満たされるような何かを、感じずにはいられないのです。でもこれは単にオーケストラだからいいのではなく、やはりチェリビダッケが素晴らしいからなのでしょう。この人の音楽は本当に柔らかく、横の旋律が大変美しく歌います。私も今までいろいろなコンサートで、様々なオーケストラを聴いてきたつもりですが、こんなに自然に歌えるオケは初めてです。(他のオーケストラを聴いていて、フレーズの処理のしかたの荒っぽさやテンポの揺れの不自由さ、また、なんとなく流れが不統一に感じることなど少なくないのですが、これはオーケストラだからしょうがないのだろう、と思ってしまっていました!)合唱もアマチュアなのに、いやきっとアマチュアだからこそ(?)とても音楽的で感度が高いように思います。決して縦割りにならない音楽、そしてチェリビダッケが手を上にあげただけで、そこに音楽が存在し、気持ちのよい音が響いてくるような・・・。

    コントラバスのSさんがいたので、休憩の時に少しお話をしました。またチェリビダッケ論を展開してくれました。チェリは本当に団員の多くから崇拝されているようです。共通の知り合いの指揮者 I 先生が日本から来られるそうだけれど、その時のミュンヘンフィルのチケットが取れなくて困っている、とおっしゃっていました。朝10時半から発売でしたが、7時ぐらいには多くの人が列を作っており、皆、椅子を持参しているようでした。私がプローベを聴いてから見に行ったらもちろん売り切れ。いつもこのような感じです。今度は特に、チェリビダッケとバレンボイムの共演によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ですから。私はとりあえずひたすら、ただでプローベを聴きにいこうと考えていますが、たまにプローベが聴けない時があるみたいで困ります。ホールの反響板がどうのこうの、という理由だったりするようです。明日の晩もゲネプロがあり(ブルックナーとモーツァルトのピアノコンチェルト<ソリストは確かピルナーだったような・・>)、無料の整理券をもらったのですが、なんと私も歌の伴奏のプローベが入って、行けなくなってしまいました。残念!!



  • 1990年3月20日 〜チェリファンとの出会い〜

    最近日本語の活字が恋しくなって、日本から持ってきた数少ない文庫本の中にあったフルトヴェングラー著(芳賀檀訳)「音と言葉」を再読。これは高校生の頃買って大変感動した本ですが、今ここドイツで読むとその言葉のひとつひとつが心に直接ひびくような気がします(ドイツ語で読むことができるならばより一層なのかもしれませんが・・・この語学力では大変難しい!)。彼の音楽に対する理想や愛の深さは、音楽の成せる可能性の大きな希望を示してくれます。人と音楽との関わり、理想の生き方と音楽との接点に疑問を感じざるを得なかった最近の私をも勇気づけてくれます。チェリビダッケはフルトヴェングラーの後継者と言われていたらしいですが、そこらへんをもっと知りたいと思っています。

    またチェリビダッケのプローベを聴きにガスタイクに行きましたが、ピアニストのバレンボイムが嫌がったのか、結局聴くことができませんでした。でもここで初めてチェリビダッケのファンである常連の日本人3人に会いました。一人は私と同じミュンヘン音大の学生でまだ若いS君です。そして日本からわざわざチェリビダッケのコンサートだけを聴きにきているFさんとここで指揮の勉強をしているSHさん。今まで一人でひそかに(?)聴いてきましたので少しとまどいましたが、なんだかとても面白そうな人たちなので安心。嬉しく思いました。<さて、この人たちに出会ってから私のチェリビダッケの世界は急に広がっていくのです!>



  • 1990年3月21日 〜グレイトのゲネプロ〜

    今日はゲネラルプローベ(最終リハーサル)が聴けました。曲はシューベルトの交響曲「ザ・グレイト」とベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番c mollです。シューベルトの第1楽章は少し大まかな作りの印象を受けましたが、2,3,4楽章と進むにつれ細部が引き締まってきてどんどん良くなっていきました。ただ、全体になんとなくまだ日が浅いというか、演奏が熟していないなぁと感じました。もう少しいいものができるのではないかという期待感と不満な気持ちが残ります。う〜ん、やっぱり本番が聴きたい! お金もあまり余裕ないしチケットも手に入れていないけれど・・・。



  • 1990年3月25日 〜本番初体験〜

    今日から夏時間となり、日本との時差が7時間となりました。なんだか1時間損した気分。 もうそんな時期なのですが、今日はとても寒く雪が降りました。近くに桜らしい木があり、うすピンク色の花も沢山つけているというのに、その上に雪が舞い落ちる風景はとても珍しくたいそう美しいものでした。

    昨日チェリビダッケの本番を聴きに行きました。チケットは持っていなかったのでローゼンハイマープラッツ駅のエスカレーターのあたりで「SUCHE KARTE」(チケット求む)と書いた紙を持って立っていたら、なんと本番2分前ぐらいでチケットをただでくれる人が現れて、私は会場まで必死に走りました。ホールからは結局チケットを手に入れられなかった人が続々と帰っていくところで、私はなんて運がいいのだろうと舞い上がる気持ちを押さえるのに大変でした。

    バレンボイムはプローベとは全然違いずっと引き締まった演奏でした。本番じゃないと真剣に弾かないという感じなのでしょうか。何かがのりうつったように非常に情熱的だったし、オーケストラを聴く余裕も見せていました(プロだからあたりまえかしら?)。大変わかりやすいパフォーマンスでお客さんウケする演奏だなぁと思いましたし、事実聴衆はとても喜んでいたと思います。私の席はかなり前の方だったので<確か中央前から二番目ぐらいのオーケストラのメンバーの家族席みたいなところだったと記憶しています>、そのエネルギッシュな演奏に圧倒されましたが、包容力や深みに欠けるような気もしないではありませんでした。
    シューベルトのグレイトもさすがに本番4日目ということで、プローベの時のような不安感は無くすっかり慣れているという感じでした。1,2,3楽章と、この曲の素朴な優しさが溢れたとてもいい演奏だったと思い感激していましたが、第4楽章ではむやみやたらな金管のフォルテが気になりだし、本番はやはり派手な演奏になるのかしら?と現実に引き戻されていました。席が前すぎたせいなのか・・・。でもこの時初めて、演奏後のチェリがオーケストラに向かって合掌する姿を、そして決して拍手を一人占めするのではなく、指揮台から降りてオーケストラのメンバーの中に入り込んでから皆と一緒に拍手を浴びる姿を見て、再び心を打たれました。

    帰りにまたチェリファンのS君たち3人に会ったら、皆とても暗い表情なのです。私はひとり幸せな気分に浸っていたというのに! 理由を聞いてみると、今回の4日間の本番で(この人たちはプローベと4日間の本番を全て聴きに行ったらしい!)とても失望したらしいのです。チェリビダッケはこんなんじゃなかったと悲しんでいるようなのです。そして私に、チェリビダッケの調子の良かった時の演奏を是非聴かせたいと言うので、今日S君の家へ行くことになりました。S君の作ってくれた大変美味しいインド料理をいただいてから、1985年のグレイトとスメタナのモルダウ、ベートーヴェンのエロイカなどを次々聴かせてもらいました。もちろん録音なのですが、その演奏は・・・信じられないものでした!
    オーケストラの響きは非常に澄んでおり、どのパートも全体の中に埋没することなく生かされ、それはまるで層を成しているように隅々まで本当に美しく聴こえます。フォルテは決して割れることなくどこまでも伸びていくような柔らかさがあり、フレーズのとり方はとても自然で、まるで音楽はもともとこうあるべきだったと示してくれているような素晴らしさ。そのうえその場にいたらどうかなるのではないかと思うような緊張感とその内容の深さ。そこに宿った精神は、あのフルトヴェングラーが書いていた言葉を思わせるもので、チェリビダッケは確かに彼の後継者たりえる者だったのだと納得。あのモルダウの初めの幻想的な美しさには涙が出そうになったほどです。

    確かに最近のミュンヘンフィルは、私の聴いた限りではここまでの演奏はしていません。このような超越的な演奏でなく、もう少し身近で世俗的な印象があります。緊張感というよりは良く言えば人間的な柔らかさなのかもしれない。ただ、つくりはほとんど同じなのだろうけれどそれを支える大本が違う(弱っている)という感じは否めません。
    これらの演奏を生で聴いた彼らの体験談を聞いていると、私は大変うらやましくなりました。しかし昨年のラ・ヴァルスも凄かったらしいのでまだまだこのような演奏を期待できるみたいです。私もこんな音楽体験がしてみたい!!チェリビダッケ、頑張って!!

    <この日のこのチェリビダッケ試聴体験がどうやらチェリ教の勧誘の儀式だったなんて・・・!?その後私がチェリにどんどんのめりこんでいくのは、もう言うまでもありません。私はこのチェリを通して知り合った人たちに、本当に多くのここには書ききれない親切と、とても普通の留学では得られないような教育(?)を受けることになるのです。思い出すたびに感謝の気持ちでいっぱいになります。>



  • 1990年4月2日 〜シューマンの2番〜

    シューマンの2番の交響曲のプローベに毎日通っています。今日はシューマンをとても愛している親友のK もスコアを持って聴きに来ていました。K は「楽譜と全然違うことをしている!」と憤っていました。確かにチェリビダッケは楽譜に記されている編成とは異なることをしたり、デュナーミックも変えたりします。けれどもそれは現在のこのオーケストラで最もこの曲を美しく生かすために、そしてそれがより作曲家の意図していたもの、表現したかっただろう世界に近くなるよう試行錯誤した結果だと私は思います。実際、彼の手にかかると交響曲としては地味なこの曲が、どれだけ素晴らしく深い内容をもつ生き生きとした名曲に聴こえることか・・・。

    あの全身が震えあがるような感動を今か今かと心待ちにしながら聴いていますが、今のところまだもう一つではあります。あのような緊張感はやはりプローベでは難しいのでしょう。
    それでもチェリビダッケがやろうとしている音楽の素晴らしさは伝わってくるような気がします。3楽章における悲しみの深遠さ、終楽章の溢れる豊かな生命力。それぞれの奏者がお互いじっくり聴き合うことによって微妙なバランスをとるアンサンブルの素晴らしさと、あるべきところに音があってそれぞれが体温をもっているということ・・・。 最近、彼が若い頃にミラノのオーケストラと共演したCDを買って聴き始めています。イタリアのオーケストラはなんか妙に音が明るいし、旋律の歌わせ方がとても柔らかく声楽的で、ミュンヘンフィルとはまた印象が違いますが、その有機的な音の扱い方はやはり同じです。ドビュッシーのラ・メールなんか、本当に海そのもの、あるいは海中の生物がうごめいている印象を受けました。この曲でこんなふうに感じたのは初めてです。

    私は人間の心に帰結してくるものは、必ず有機的でなければいけないと思っています。創造は無機的なものをいかに有機的なものにするか、そしてそれが一体何を語るのか、ということを追求する作業であるような気がするのです。
    今回は本番のチケットもきちんと前もってSHさんから買ってあります。どうかいい演奏会となりますように!



  • 1990年4月5日? 〜オレク・カガン〜

    <この日付は定かではありません。私がこの大切な日のことを書いたページがなぜか失われているのです。何かに使ったのかしら?絶対記したはずのことなのに!どなたか正確な日付がわかればお教えください。>

    今日プローベを聴きにガスタイクへ行ったらSHさんに会いました。「昨日、カガン聴いた?凄い演奏だったんだって?オケのメンバーが皆えらく興奮してしゃべっていたよ。でも今日はもう来れないんだって。なんか彼、癌だそうで入院したって話だよ。誰か代わりが来るみたいだよ。」と教えてくれて、私は非常にショックを受けました。
    そう、私は昨日、確かにあの素晴らしいプローベを聴くことができたのです!

    昨日はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲をオレク・カガンというソリストを迎えてのリハーサル。
    舞台に登場したカガンは大変にこやかでしたがとても痩せており、まるで老人のようでした。<後にまだ43歳(亡くなる3ヶ月ほど前)だったと知った時、大変驚いたものです!>
    そういえばカガンはそれが彼の癖なのかまたは病の痛みからか、胃か胸のあたりを押さえるようにしながらヴァイオリンを少し高めにもっており、それをまるで愛撫するがごとく弾き始めました。
    最初は音程もあまり良くなく不安定な感じも受けたので、私は「大丈夫かしら」と心配してしまいましたが、<当時、私はまだカガンの名前すら知らなかったのです!>いつの間にかカガンもミュンヘンフィルもそして私も、おそらくその場に居合わせたほとんどの人が何かにとりつかれたように引き込まれ、チェリビダッケでさえ一度もストップをかけずにそのまま終楽章まで一気に演奏、オーケストラのメンバーは皆大変幸せそうな顔をしながら興奮して気が付いたら聴衆と共に全員が盛大なブラボーと拍手をしているという状態だったのです。

    そしてとても信じてもらえないかもしれませんが、その間私の目に映っていたのは、音楽というなんとも優しい空気のようなものが彼の周りに存在し、それに包まれながらただそれに身を任せているカガンの姿でした。彼自身、まるで神に祝福されているようで大変幸せそうでした。一期一会の演奏とはまさにこういうものかもしれない、と思いました。

    <カガンはこの年の夏に亡くなりました。多分この日の演奏がカガンの最後の協奏曲の演奏でした。(私はずっとこれがカガンの公開の最後の演奏だと信じていましたが、後にCDの解説などを見ると、その後も亡くなる直前まで親しい仲間と演奏会をしたことが書かれていました。)カガンは本当に音楽を愛し、そして音楽に愛された人だったのでしょう。>



  • 1990年4月7日 〜チェリの聴きすぎ?〜

    昨夜はレッスンの前日だというのに、突然どうしても押さえられない衝動に駆られて、ピアノの練習もせずにチェリビダッケの本番を聴きに行ってしまった、、、。

    悲しいかな、カガンの代役として出てきたヴァイオリニストはただまじめに弾けるだけ、という感じの若手でした。<名前を記していなかったので記憶の中では誰だったか見当はついているのですがはっきりわかりません。曲名もベートーヴェンではなく、確かモーツァルトかなんかだったと思います。よほど嫌いな演奏だったのか、何も書き残していなかったのですっかり忘れてしまいました。>
    シューマンの2番の交響曲はそれなりにまとまっていましたが、残念ながら期待したような緊張感はあまりなく、チェリビダッケがあまり元気がないような気がしました。体の調子が良くないのでは?やっぱり年齢には勝てないのかしら・・・。それでも私にとってはもちろん、これを聴けてよかったと思えますけれども。強い意志と論理性を求められ、やもすればがんじがらめになりがちな今の自分の状況に、音をあるがままに生かして作っていく彼の音楽は本当に安らぎを与えてくれます。チェリビダッケがこうしたい、というのでなく、この音はこうあってこのように必然的に動くべきというあたりまえに見える作業により、音楽が自然に立体化され、シューマンの素晴らしさがふつふつと浮き上がってくるような感じなのです。でも多分彼はもっと凄い演奏を頭に描いていたのでは、と思わせられるのは確か。

    だから今日のコンサートに期待しても良かったのですが、珍しくチケットを前もって買っておいたのにもかかわらず私自身が非常に疲れていて、会場の前で「SUCHE KARTE」(チケット求む)と書いた紙を持って立っていた日本人に売ってしまいました。(昨日のコンサートのチケットは私がこの方法で手に入れたのですが。いったい何をやっているんだか、、、。最近あまりにチェリビダッケに染まりすぎたせいか自分のピアノが変わってきて、その変化に自分自身がうまく対応できなくなっており今日はやめようと思ったことも理由の一つです。)<彼のオーケストラの響きに非常に惹かれていて、ピアニスティックな表現ができない状態だったような気がします。今も単純な人間ですが、この頃はより一層、どうしようもなく単純だったのです!>

    その、私がチケットを売った青年は大変喜んで下さって、少しお話もしました。彼は今はウィーンに住んでいるけれど、もう何年もチェリのもとで指揮の勉強をしていたというINさん。やはりいろいろなことを考えていて面白い人でした。チェリを聴いている知り合いがまた増えて、皆それぞれ個性的で様々なことを教えてくれるので、嬉しい限りです。そしてどの人も皆大変親切なのです!



  • ちょっと脱線その@〜ダッハウの収容所(1989年11月1日)〜

    ミュンヘンにいる限りやはりここは見ておかなくてはいけないと、こちらで親友になったIと一緒にダッハウの強制収容所を見に行きました。ドイツ人の友達は、日本人であるからにはノイシュヴァンシュタイン城に行かなくては、と冗談を言いますが。(日本人観光客のお決まりコース)

    ダッハウというのは不思議な街で、この強制収容所があるところの反対側はまるでおとぎの世界のようにその丘や家々が美しく、対照的な現実を見せられたような気になります。
    収容所内に実物として残っていたものは案外少なかったのですが、ここにユダヤ人達が詰め込まれ、この土を踏んで肉体労働させられ、そしてここに死体が山のように積まれていたと思うと、やはり胸にグッとくるものがありました。ビデオ(スライド)もドイツ語と英語版で無料で見ることができるし、資料も何カ国語か用意されていて、さすがにヨーロッパでアウシュビッツに次ぐ有名な場所だということがわかります。

    とても人間扱いだと思えない、養鶏所以下のような場所に寝起きし、病気になっても働かされていたその悲惨さ・・・。どこまで酸素の量を少なくすれば人が死ぬかなどの様々な人体実験の様子、毒ガス室、周囲に張り巡らされている電熱線、ヒットラーの演説風景、いろいろな資料を見ましたが、私の心に一番強く刻まれたのは、ぼろ布のように扱われた死体の山でも希望の光を失ったユダヤ人のまなざしでもなく、なんと、ナチスの婦人部隊の大変知的で健康的な様子、そして誇りにあふれた純粋なその顔の美しさなのです!このような恐ろしいことを行った人達はさぞ鬼のような人々と思いたかった私の願いをみごと裏切ったあのパネル写真!!この人達が全てを知ってナチスのために働いていたかどうかはわかりませんが、だからこそ自分を含め誰もがすべてこのような残虐なことに加担することがあるかも知れない、という恐怖。そして心ある人間が、同じ心ある人間に対してここまで残忍な行為ができてしまう、という確かな事実にはただ驚愕に震えるしかありませんでした。

    平日だったので、そんなに見学者はいませんでしたが、ドイツ人の小学生らしき団体が先生と一緒に来ていました。多分社会見学みたいなものでしょう。ふと、この子達のおじいさんがこのパネルに写っているかもしれない、という考えが頭をかすめました。自分達の国のそれもほんの少し前の負の歴史をこの子達はいったいどのように捉えていくのだろう・・・。南京大虐殺や侵略行為などをできるだけ隠そうとする日本との大きな違いはどこから来ているのだろう。

    ゆっくり見てまわったら、だんだん日が暮れてきてさすがに怖くなってきたので、ドーンと重荷を心に背負ったまま帰途につきました。このショックは相当なもので、しばらく頭のどこかでいつも、人間の良心の限界についてや、煽動されやすい本能、攻撃、破壊の本能、集団の恐ろしさ、無感覚、無関心についてなど、打ち込まれた鉛の玉が鈍くぐるぐる回っているようでした。

    私は音楽を学びにここへ来たわけですが、人間の心の闇に音楽はどのように作用するのだろう、もし音楽を一生の生業にするのなら私は人の良心に響いてなにか幸福に導いていけるような音楽を勉強していきたいと、そしてこれが私にとってのすべての原点である、とひそかに決心したのです。<そう、チェリビダッケの音楽に出会うことは私にとって必然だったのです・・・・>

    次の日、ガスタイクの図書館にCDを借りに行ったら、展示場でヒトラーを暗殺しようとしたひとりの家具屋のことが特集されていました。この国は常に戦争で犯した罪を追求し、今も深い反省が繰り返されています。しかし、ドイツもここ南のバイエルンあたりではレプブリカーという名のネオナチ系統の党が強くなってきており、今、選挙がとても重要になってきています。この前の選挙もこの党の支持者が結構少なくなかったそうな・・・なぜそのようになってきたか、その理由は、先の戦争で犯した他国に対しての罪を償う意味もあり亡命者や外国人労働者の受け入れをとても広くしたために、現在この国に住む外国人が増えすぎてドイツ人の住居や職が狭められているという考えから、国粋主義が復活してきているという話を聞きました。そしてバイエルン地方は排他的な考え方の人が多いというのも聞いたことがあります(滞在ビザがおりにくいし、住居探しの時に日本人と言っただけでガチャンと電話を切られたこともある)。その上、今は東ドイツの人びとも喜んで多数受け入れており、なにか対策を講じないと失業者などが増え続け大変なことになります。ラジオでは毎日、東ドイツや近隣諸国のデモの負傷者の数などを放送しています。ここヨーロッパは現在、嵐の真っ只中です。



  • 1990年4月14日 〜人間にとって音楽とは?〜

    日本にいるTさんが「人を変えるのは宗教ではなく、本当に偉大な芸術だけだ。」なんて言っておりましたが、確かにそうかもしれないと最近思います。もちろん宗教には芸術的な要素が沢山含まれており、実際、宗教心なしにはこんな偉大なものができなかっただろうと思える芸術作品も多々ありますから、切り離して考えることは難しいのですが。でも偉大な芸術に出会ってしまった者は、もしかしてもう、今までのように軽く気楽に生きられなくなるかもしれない・・・特にその芸術が、その人の人生に無くてはならない種類のものだったなら。

    私もやっと最近、人間の芸術としての音楽を真剣に考え始めています。もちろん、チェリの凄い演奏に触れてから・・・。しばらくは自分を見失ったり他の音楽を受けつけなくなったりしましたが、今やっとそこから少し距離を置けるようになりました。なぜなら私はもちろん全くチェリビダッケとは似ても似つかないし、そのうえ否定しても否定しても自分が執着して離れることができない何かが自分の中に確かに存在することを感じるからです。どんなにつたなくても、その何かがある限り、やはり私は自分でピアノを弾くのだろうと思います。でも今までのように弾くことはできないでしょう。いろいろ考えることが増え過ぎましたから。
    チェリビダッケを取り巻く人びとと話していて、同じチェリを聴いているのにもかかわらず、それぞれ凄いと思う部分が違うのを感じました。(個々の感性なのであたりまえのことなのかもしれませんが。)そしてそれぞれがそこから自分の生き方を考え、チェリビダッケの哲学の影響を受けながらも自分の哲学を模索し、その理想に向かって個人で努力している姿を感じました。私ももう少ししっかりしなくては!
    もうひとつ面白いことは、皆それぞれ自分が最もチェリを理解している、と内心思っているだろうということ(かく言う私もそうかもしれませんが?!)。チェリはどの方向から迫っても、簡単には捉えきれない奥深さがあるということかもしれません。

    ドイツ語の勉強も兼ねて新聞をゆっくり読み始めています。東ドイツの話題が大部分を占めています。通貨の価値の違いをどう埋めていくのか等、統一に向けて具体的な問題解決が必至の状態です。いろいろと複雑ですが、多分統一は目の前でしょうね。マルクの上がりようがとてつもなくて困っています。1マルクが100円近くになりそうな勢い!

    S君の家でピエール・モントゥーやシューリヒトを聴かせてもらいました。彼は聴く順番まで親切に考えてくれて(もちろんこちらの反応を見ながら)、いいオーディオと工夫された音響の中、まるでコンサート会場の特等席で聴いているような気分にさせてくれます。もちろん、そこには一緒に聴くS君の「気」のようなものも加わっているわけですが。その後、彼が厳選した大変素晴らしく質の高い民俗音楽まで聴かせてくれました。その中には信じられないぐらい芸術的な草笛の演奏があったり、お経のようなものや、日本の仕事歌や民謡と非常に似ているものもありました。感じるのはその歌がいつも偉大な自然に向かっている、そしてそれを崇拝し、また慈しんでいるような人間の姿と、その音楽の人間にとっての必然性です。生きるための祈りのような音楽。音楽はこんなにも生活に密着していて無くてはならないものだったのかと、改めて考えさせられます。
    現在溢れている音楽はさてどうなのでしょう。自然から離れて、商業主義にのせられていく音楽は何なのでしょう。

〜 つづく 〜




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