── Program Notes ──


グロトリアンのピアノ

スタインウェイの前身だったドイツ製グロトリアンのピアノは、様々に微妙な音色の可能性を探れる今や数少ないピアノとして知るひとぞ知られている銘器です。
ロベルト・シューマンの妻でもあり、ピアニストとして一世を風靡していたクララ・シューマンも愛用していました。
今回は高槻のスタジオ73で演奏したもの(グリーグ、モーツァルト、ショパン、ブラームス)と、自宅のお気に入りのマホガニーのグロトリアンでのベートーヴェンをアップしました。十河氏の「春ふたたび」はスタインウェイで弾いたのになぜかここにアップすることになったのはあざらしさんが管理者だからか・・・?!
インターネットでピアノの音色をどれだけわかっていただけるかわかりませんが、とりあえず私自身は音色を楽しんで演奏しました。聴いていただければ幸いです。

〜グロトリアンについてのさらに詳しい情報はこちらをご覧下さい〜
★ピアノの調律、整音のスペシャリスト田中英資さんのホームページ内のテラノホール

〜グロトリアンのあるホール〜
テラノホール
スタジオ73
大阪シティアカデミー


− 人と音楽 −●エドヴァルド・グリーグ(1843〜1907)
冬野夏彦(音楽美学)
グリーグといえば、誰しも有名なピアノ協奏曲か、その昔小・中学校の音楽鑑賞で聴かされた『ペールゲント』を思い浮かべるのではないでしょうか。そして習ったはずのこの作曲家とノルウェーとの関連を忘れてしまった人が、そのピアノ協奏曲の中にもノルウェー風の響きを聴き、意外に思ったということもあるでしょう。グリーグの作品はこれらのいわゆる「名曲」を除いては、よく知られているとはいえません。グリーグの音楽についてもう少し知っていただくために、そのノルウェーの民族音楽的要素の背景など、彼の音楽の軌跡についてお話しいたします。
グリーグは1843年にノルウェー西海岸のベルゲンに生まれ、15歳でメンデルスゾーンによって設立されたドイツ・ライプツィヒ音楽院に入学しています。グリーグはいわゆるモーツァルト、ショパンほどの早熟の天才ではありませんでしたが、音楽好きの母親のピアノの手ほどきにより、早くからピアノや作曲に親しんでいたことが、ノルウェー人である彼がこの年齢でドイツの名門音楽院へ入学するのを可能にしたといえるでしょう。いまだロマン主義が色濃く残るライプツィヒの音楽院では、ベートーヴェンの信頼の厚かった友人であり、当時一流のピアニストであったモシュレスやシューマンの親しい友人であったヴェンツェルに教えを受けることになります。モシュレスの卓越した指導によって、その後グリーグは優れたピアニストとしてのキャリアも歩みますが、作曲家グリーグの資質はまずこのヴェンツェルによって導き出されたといえます。シューマンの日記からも分かりますが、ヴェンツェルはシューマンが音楽の理想を追求すべく行動をともにした音楽家であり、グリーグは彼からシューマンの音楽に対する愛着と情熱をかき立てられ、その本質を学びます。グリーグはライプツィヒではよく演奏会にも行き、シューマンの没後数年というこの時期に、シューマンの未亡人クララが弾くシューマンのピアノ協奏曲を聴いていますが、その響きは彼にインパクトを与えたようです。そういえば、グリーグがその約6年後に作曲したピアノ協奏曲とシューマンの協奏曲の間には、イ短調という調性だけでなく、強音につづきピアノ・ソロが下降するオープニングの形態など、少なからず類似性が認められます。
グリーグのこの協奏曲のオープニングのピアノ・ソロのパートでも、上でお話ししたようなノルウェー音楽風の響きが感じられますが、これはそこに織り込まれたノルウェーの民族音楽の音程が醸し出すものです。それでは、ドイツの伝統の音楽教育に学んだグリーグが、何故このシューマン様の協奏曲にまでノルウェー調の響き与えることになったのでしょうか。その理由は、19世紀のヨーロッパ全般とそれに付随する西洋音楽の状況にあります。この激動の世紀には政治上の民族主義が徐々に高揚しますが、音楽の世界でもそれぞれの民族の固有の音楽が認知・評価され、それまで西洋音楽の中心であったドイツ、イタリア、フランスといった中欧の伝統音楽に代って、北欧を含めた非中欧の国々の音楽が大きな市民権を得ます。グリーグの国ノルウェーは、長く中世よりデンマークやスウェーデンの属国でしたが(グリーグの亡くなる2年前の1905年に、ノルウェーはようやく独立します)、もともとこの三国は言語・民族的には大した相違がないこともあり、ノルウェーの独立運動は穏健なものでした。 グリーグも偏狭的なナショナリズムに与することなく、音楽家の立ち場からノルウェーの民族音楽文化のアイデンティティーを確立しようとしたのです。彼は1864年頃からノルウェーの農民の音楽に強い興味をいだき始め、それは68年に作曲されたピアノ協奏曲にも現れる訳です。そして特に70年以降は、意識してノルウェーの民謡を作曲に採り入れるようになります。しかしノルウェー民族音楽への果てしない憧憬の念が、人間グリーグの根底にあるならば、多感な青春期を過ごしたライプツィヒ音楽院時代にシューマンやショパンなどのロマン主義音楽から受けた深い感銘は、作曲家グリーグの原点であるといえます。これらがグリーグのなかで融和し彼独自の音楽言語になり、それが語るものがグリーグの音楽であり、その普遍的な響きが世界の市民権を得るにいたった、というのが彼の音楽がたどった軌跡ではないでしょうか。

ノルウェー民謡による変奏曲形式のバラード 作品24
Ballade i form av variasjoner over en norsk folketone op.24

この『バラード』は、グリーグのピアノ音楽なかで最も重要な作品といえるのですが、あまり演奏されていません。その理由の一つには、この曲はバラードとはいっても、実際は変奏曲の様式で書かれていて、また変奏曲とはいっても、厳密な意味では 変奏曲のルールに従っていないということがあると思われます。つまり、訳がよく解らないのです。ノルウェー民謡に基づく主題は単なる変奏曲の主題というよりも、ワーグナーのオペラにある指導動機Leitmotivに近いものと考えられなくもありません。第十変奏から終結までは主題の輪郭が不明瞭すぎて変奏曲らしくなく、意外な転調があるかと思えば予期せぬ形で終ってしまいます。特にこの部分でグリーグが文字通り劇的な何かを描いていて、また変奏曲全体に何らかの物語性があるのは確かなようです。このように考えれば、この変奏曲の主題は、指導動機すなわち曲の背景を終始聴衆の心理のなかに意識させるモティーフの役割をしていると考えられるのです。 グリーグとワーグナーを結びつけるのはやや突飛に響きます。とはいえ、傍証でしかありませんが、ライプツィヒ音楽院時代にグリーグが、ワーグナーのオペラに通いつめたという事実も軽視はできません。
グリーグが一身上の何かをこの変奏曲に秘めていたともいわれていて、そのせいか彼はこの曲を一度も公開の場で演奏したことはありませんでした。[冬野夏彦]

〜 私のコメント 〜
この曲は作曲家としては大変充実した32歳の頃(私生活においては両親を失うなど決していい時期ではなかったにもかかわらず、同時期にグリーグは代表作となる「ペールギュント」も書いているのです)の、彼の多面的な要素が含まれた、魅力的な作品です。
即興的な要素も多分に含まれている曲なので、自分が心身とも自由にならないといい表現ができません。バラードというテーマで曲を探していて、たまたまこの曲を知ったのですが、このようないい作品との出会いは大変嬉しいです。(2000年6月15日、スタジオ73での公開録音会にて)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜91)
Wolfgang Amadeus Mozart

ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 KV310
Piano Sonata No.8 KV310

優れた作品の多産をもって天才の特徴とするならば、モーツァルトはシューベルトと同じく、音楽史上最大の天才の一人でしょう。モーツァルトは、とにかく音楽を書くのにほとんど苦労がなかったといわれます。また彼は、ウィーンに自分を訪ねてきた少年ベートーヴェンのずば抜けた才能を見ぬいて、「この若者は、いずれ世の中を驚かせるだろう」と予言していますが、ベートーヴェンはこのウィーン滞在中に、モーツァルトの天真爛漫な性格に驚かされたとも伝えられています。モーツァルトのこの人となりは、彼の音楽の明りょうで快活・軽快な特徴にそのまま示されています。このピアノ・ソナタは早期のものですが、モーツァルトのすべてのピアノ・ソナタのなかでも、最も優れたものの一つに違いありません。このソナタはパリ滞在の折りに作曲されましたが、モーツァルトはこの時期に作品に強弱記号を記し始めました。この曲はソナタとしては最初に?(フォルテ)が記されたものですが、それがモーツァルトのソナタとしては数少なく珍しい短調で書かれているのは、成立の過程がよく判らないこのソナタだけに興味深いところです。[冬野夏彦]

〜 私のコメント 〜
モーツァルトを演奏するのは大変難しいとよく言われますが、この傑作のイ短調のソナタも、技術的にもまた精神的にもうまくバランスをとリにくい曲です。それぞれの楽章がどれも魅力的で、表現豊かでありながら、意識的に弾きすぎるとその美しさが失われるような・・・。(2000年6月15日、スタジオ73での公開録音会にて)

フレデリック・ショパン(1810〜1849)
Frederic Chopin

バラード第1番 op.23
Ballade No.1 op.23

ロマン主義はもともとはドイツで文学において始まった運動で、やがて音楽にも影響がおよびます。ショパンの生きたロマン主義の時代は、詩そのものあるいは「詩的」ということが大変重要な概念でした。そしてそれが音楽においても支配的な概念となったとき、ロマン主義音楽は大きく進展したのでした。 バラードということばの起源は中世のバラード(抒情歌)にあり、それは歌詞による物語風の叙事的内容を持つものでした。ショパンは4曲バラードを作曲していますが、これらはいずれも中世のものとは直接の関係はありません。ショパンのバラードは、彼が詩的な想念を表現するために創造した、ロマン主義音楽のまったく新しいジャンルなのです。ショパン自身が語ったところでは、彼と同じポーランド人の詩人ミケェビィツのある詩からインスピレーションを得て作曲したということです。しかしながら上でもお話ししたことですが、ショパンは純粋にピアノのためのピアニスティックな音楽を書いたのであって、このバラードも原詩の物語的内容の具体的描写と捉えるよりも、それを読んで湧いた想念が曲想となって現れていると考えるべきでしょう。まさにバラードこそ、ショパンが「ピアノの詩人」としての本領を発揮している音楽であるといえます。[冬野夏彦]

〜 私のコメント 〜
この曲は何度か演奏したことがありますが、この録音の演奏ほど最初のテーマを遅いテンポで弾いたものはないと思います。この時はこのようにゆっくりと語りかけるように弾いてみたかったのでしょう。テンポというものは演奏するうえで最終的に一番重要になってくるものかもしれません。演奏する者も聴く側にとっても、テンポの取り方によってその音楽の印象がまるで変わってしまいます。そして本当は決まったテンポなどなく、その会場や楽器のもつその時の響きによっても左右されるものなのです。特にピアノは一音一音が減衰していく楽器ですから、会場が響いてくれないと、音と音のつながりが悪くなって気持ちよく演奏できません。(1999年5月、スタジオ73にて)

十河陽一(1959〜)
Yoichi Togawa

春ふたたび<麻田浩の思い出に捧げる> 〜ピアノのための〜(1999)
The spring again

 この曲は、アメリカ在住のピアニスト、ローデン千恵氏の委嘱で作曲、2000年5月に東京で初演されたものです。以来同氏によって、アメリカやイタリアでも再演されています。
以下は初演時のプログラムノートからの転載。
 シュ−ルレアリズムの画家麻田浩氏は、地面を見つめ続ける人でもあった。  1980年代前半の彼の作品に「悲の地」三部作がある。そこにはひび割れた大地に文明の残骸が無造作に捨て置かれた荒涼たる景色が描かれていたのだが、私は1991年にそれらの絵に触発されて、同名のピアノ曲を書いた。そして今回の私の作品もまた、麻田氏の同名の絵画、「春ふたたび」からインスピレーションを得たものである。
 「悲の地」以降、彼の作品には潤いと土の感触が徐々によみがえり、「春ふたたび」では文明の残骸にかわってやわらかな日の光を浴びた小さな草花が描かれている。そして麻田氏にとっての「悲の地」から「春ふたたび」に至る10年の歳月は、少し遅れて私の10年と重なる。その間の氏の「こころの変遷」が、私に語りかけるものの実像を明らかにするべく、私は「春ふたたび」の作曲を思い立ったと言っても良いかもしれない。
 この10年の間に、我々を取り巻く環境が改善されているとは思えない。地球規模でさらにのっぴきならない所まで追いこまれていることは疑う余地もない。そのような状況の中での麻田氏の変遷は、過ぎ去った時への安直な追慕ではない。現実逃避でもなければ現実否定でもない。そこにはどのような環境の中に置かれようが、生きていかなければならない、あるいは生きたいという根本的な意味での「命の肯定」があるように私には感じられてならない。そして私は、麻田氏が絵に託したメッセージを私なりに受け継いでいくことのみを願いつつ、この作品を書き進めていった。

「春ふたたび」を亡き麻田浩氏に捧げる。 [十河陽一]
〜 私のコメント 〜
最初にこれを弾いた時の心の震えを忘れないように演奏したいと思いました。そして演奏するたびに初めてお会いした時から私達を本当に優しく受け入れてくださった画家、麻田浩先生の笑顔が思い出されます。いつもあのような優しさをもって演奏できたらと思っています。(2000年12月24日十河陽一個展、バロックザールにて)

ヨハネス・ブラームス(1833〜1897)
Johannes Brahms

間奏曲 op.119-1
Intermezzo op.119-1

57歳ですでに遺書を書き、創作活動にも衰えを感じ始めたブラームスであったが、1892年にはOp116〜Op119のピアノの小品集を一気に書き上げている。 この年は次々と親しい友人に先立たれたこともあり、それらは晩年特有の内省的な深さと諦観をそなえたもので、このOp119のインテルメッツォも、はかない悲しみに満ちた曲である。

〜 私のコメント 〜
この曲は心がなんともいえないせつなさに包み込まれるようになりますが、ブラームス自身はその悲しみを静かにほんの少し距離を置いてみつめているような気がするのは私だけでしょうか。(2000年6月15日、スタジオ73での公開録音会にて)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)
Ludwig van Beethoven

ピアノソナタ op.27-2「月光」嬰ハ短調
Piano Sonata op.27-2

ピアノ曲といわず、ベートーヴェンの全作品のなかで、この曲ほどロマンティックなエピソードを持つものはないでしょう。いわく、ある夜ベートーヴェンが友人とウィーンの街を歩いていて、ある建物の下まで来ると、誰かが自分のピアノ曲を弾くのが聞こえてきた。(ベートーヴェンが重度の難聴を患っていたのはよく知られていますが、これは耳の疾患が悪化する前の話として語られているものです。)自分の曲のえもいわれぬ美しい演奏に、思わず歩を止めたベートーヴェンは、友人をさそって演奏の主に会いに階上へ上がった。案内を乞うと若い男性が出てきて、自分の盲目の妹が弾いているのだと言う。中へ通され、少女にそっと話しかけ、彼女が弾いていたのと同じフレーズをベートーヴェンが弾いて聴かせると、少女は「もしや、あなたはベートーヴェン先生ではないですか」と尋ねる。ベートーヴェンはそうだと答えて、「あなたのために何か弾いてあげましょう」と言い、ピアノに向かう。折りしも、開け放たれていた窓から吹き込んだ風が、燭台の上の明かりをかき消す。ベートーヴェンは、月光に照らし出された鍵盤に手をおき、あるメロディーを即興で弾き始めた。そして作曲したのがこの『月光の曲』だ、というものです。しかし大変残念ながら、この美しくロマンティックな話はまったくの創作で、実際にあった話ではありません。とはいえ、この曲があらゆる意味でロマンティックであることには違いありません。ベートーヴェンの死後、彼の手になる"不滅の恋人へ"の呼びかけに始まる、相手が誰か判らない恋文が発見されますが、その女性ではないかとされる一人が、ベートーヴェンがこのピアノ・ソナタを捧げた当時16歳の伯爵令嬢ジュリエッタ・グィッチアルディでした。上のエピソードも、おそらくこのことを下敷きにしたものなのかも知れません。
 このエピソードもジュリエッタへのこのソナタの献呈も、一般に言われる意味でロマンティックですが、実はこのソナタは、音楽・芸術史でいうロマン主義的傾向を顕著に示しています。ベートーヴェンは古典派かロマン派かという議論はおくとしても、時代の端境期に生きた彼の音楽は、作法と理念の両方においてロマン主義的な傾向を示すのです。このソナタは作品27の1と同じく、もともとベートーヴェン自身によって『幻想曲風ソナタ』と題されています。明晰さを好む古典主義と違って、「幻想」という概念はロマン主義的なもので、ロマン主義の先駆けともいえる「疾風怒涛」の時代に、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハやモーツァルトが書いた幻想曲とも関連します。またチェルニー(ベートーヴェンの高弟で、優れたピアニスト。わが国ではピアノ教則本で知られる)はこのソナタの第1楽章を、「いずこともなく、物悲しい神秘の声が聞こえてくる夜の情景」となぞらえていますが、チェルニーが感じ取った「夜」や「神秘」といったことも、ロマン主義に特有の概念です。そして特にこの楽章の演奏には、ロマン派のピアノ曲(特に夜想曲)と同じペダルが必要です。第3楽章は明確なソナタ形式で書かれていますが、そこで示される楽想は、ほとばしる激情のようであり、4年後に作曲される『熱情ソナタ』を彷彿(ほうふつ)させるもので、ハイドンやモーツァルトの古典派ソナタとはまったく趣が異なります。
 このピアノ・ソナタが『月光の曲』と呼ばれるようになったのは、音楽批評家レルシュタープが「アルプスの湖に映る月光を想わせる」と述べたことによるといわれます。静・動それぞれの緊張感をたたえた第1楽章と3楽章の間の、なにかほっとするような第2楽章を、リストは「谷間の百合」と形容しましたが、峻険(しゅんけん)なアルプスさえほの見える月光の湖畔に、うっすらと白く映える百合を思い浮かべて、この曲全体をイメージしてみるのも一興です。 [冬野夏彦]

〜 私のコメント 〜
この曲は何回か本番にかけたことがあるのですが、一度も本番で満足な演奏ができたことがないのです。本番独特の緊張感の中で、この静謐で美しい第1楽章を奏でた後、短く愛らしい2楽章、すぐに激しい3楽章、と楽想の著しい変化に、自分の精神状態のコントロールが難しくなるのでしょうか。名曲と言われるだけあって演奏効果もあるし、これからも機会があれば弾き続けて、いつか本当に自分が満足できる演奏でこの幻想的な世界を作り出してみたいと思っているのです。(2000年11月21日自宅にて)

エドヴァルト・グリーグ(1843〜1907)
Edvard Grieg

「抒情小曲集」より「子守歌」「蝶々」
Vuggevise, Sommerfugl

ドイツの優れたピアニスト・指揮者であったハンス・フォン・ビューローは、グリーグを「北国のショパン」と呼びました。ビューローはリストの弟子であり、ショパンその他のロマン主義の作曲家の音楽も知りつくしていた彼のこの言は、グリーグの音楽の本質を端的に形容しているといえます。グリーグはシューマンの音楽に対するのと同様の強い愛着をショパンの音楽にも抱いていましたし、彼もショパンも両者とも、互いの音楽が民族音楽的要素を内に秘めながら、それをロマン主義的抒情に昇華させました。グリーグはピアノ協奏曲第2番(未完成)の作曲の計画を含めて、大きな規模の管弦楽曲の作曲を進めるいわば華々しいキャリアのなかで、素朴な美しさの10の『抒情小曲集』(全66曲)を作曲しています。シューマンは交響曲その他のいわゆる大曲の合間に、最晩年まで性格的小品と呼ばれる独自の小曲の創作をつづけましたが、この『抒情小曲集』にはそれに通じるものがありますし、ショパンの前奏曲をも連想させます。そしてこの『抒情小曲集』のなかにもノルウェー音楽風の響きが聴 き取れます。これらの小曲はみずみずしいまでの抒情に彩られた、まさに珠玉の小品です。[冬野夏彦]

〜 私のコメント 〜
グリーグはピアノ曲も沢山書きましたが、あの有名なピアノ協奏曲以外あまり演奏会で取り上げられません。しかし、その素朴な歌と、民族的で美しい描写、心の断片のような小品を、是非聴いて頂きたいと思いました。(1999年10月30日スタジオ73でのミニコンサートにて)





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